雨男が行く鉄道旅

~旅に出る日はいつも雨模様~

鉄道図鑑~京阪電鉄「旧3000系」~

10年前の2013年3月10日

京阪で1つの時代が終わりました。

 

 

 

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今回は

 

10年前の2013年3月10日に営業運転から

引退した旧3000系を振り返ります。

 

2013年の引退前に駅のホームで

簡単に撮影した写真のみですが

良ければ最後まで見てくださいね!

 

 

 

思い出の旧3000系 ①

 

 

関西の京阪沿線に住んでいても

もう知らない人が多いのかもしれません。

 

10年前の2013年3月10日

 

京阪電車から

旧3000系という特急車両が

営業運転から引退しました。

 

京阪 旧3000系

 

この車両は1971年~1973年にかけて製造された5代目「京阪特急車両」です!

 

京阪電車では淀屋橋駅と出町柳駅で車内の

座席を一斉に転換する光景を見ることが

できますが、

 

その自動座席転換装置

日本の鉄道で初めて採用したのが

この京阪「旧3000系」なのです!

 

旧3000系 座席(2013年)

 

1971年に誕生した初代3000系は

平成初期にかけて京阪の看板特急として

長きに渡り活躍します。

 

しかし1989年にデビューした8000系の

新造が進むにつれ徐々に3000系の廃車が

進みました。

 

最後まで残った3000系1編成は

2008年にデビューした「紫の京阪車両」

に3000系の座を譲ります。

 

新3000系 車両

 

その後、旧3000系車両は引退まで

「8000系30番台」として活躍します。

 

ですが「8000系30番台」になっても

旧3000系という名称で親しまれました!

 

 

思い出の旧3000系②

 

 

完全オリジナルのダブルデッカー車両

 

 

京阪特急といえば

無料で乗れる「2階建て車両」です!!

京阪電車でダブルデッカー車両が導入され

たのは1995年のことです。

 

平成初期にかけて「大阪ー京都」間の

輸送競争は激化しており、鉄道各社による

激しい争奪戦が繰り広げられていました。

 

当時の京阪特急には車内にテレビや

公衆電話がありサービス満載の車内でした

 

しかし、JRや阪急と競争するためには

新たなサービスと輸送力増強が課題となり

京阪は状況の打開策を考えます。

 

 

そこで考案されたのが

新しいサービスと輸送力増強が可能な

「2階建て車両」の新造です。

 

 

「2階建て車両」の新造には

通常なら莫大なコストが必要ですが、

 

「できることは自分たちでやろう」

という強い信念が京阪にはあります。

 

京阪は「鉄道車両メーカー」に依頼せずに

自社工事で独自に製造することでコスト

問題を解決します。

 

初めてのダブルデッカー車両は旧3000系

の中間車を用いての工事となりましたが、

 

誰も経験したことがない作業の連続となり

かなりの難作業だったようです。

 

そんな難工事を乗り越えて

念願の2階建て車両がついに完成します!

 

完成した車両は旧3000系の編成に組み

込まれ、1995年12月25日に営業運転を

開始しました!

 

旧3000系 ダブルデッカー車両

ダブルデッカー車内(1階席)

ダブルデッカー車両の銘板

デビュー以降、特別料金が不要の

「無料で乗れる2階建て車両」

たちまち人気となります!

 

この大成功により全ての8000系車両にも

ダブルデッカー車両が増結され、

京阪特急の新たな時代が始まりました!

 

旧3000系のダブルデッカー車両には

そんな京阪の信念と希望が詰まった

夢の車両でもありましたね!

 

 

思い出の旧3000系③

 

 

かつて京阪特急には

ある伝統車両がありました。

 

その車両が「テレビカー」です。

もう知らない人も多いのでしょう

かつて京阪にはテレビがありました。

 

 

特急専用車の車内に

テレビがあるのには理由があります。

 

京阪線はカーブが多くて

あまりスピードを出すことができません。

 

その長い所要時間を逆手に取ったのが

この「テレビカー」の運行です!

 

「テレビカー」が運行を開始した

1954年(昭和29年)頃はテレビは高級品で

一般家庭に普及はしていませんでした。

 

そんな高級品のテレビを特別料金不要の

車内で誰でも楽しむことができるので、

 

運行開始後はテレビカーに連日多くの

乗客が集まったそうです!

 

しかし人気のテレビカーも

時代の流れには逆らえません。

 

テレビや携帯電話の普及により

誰でも簡単に情報が手に入るようになり、

 

平成中期から後期にかけてのワンセグ携帯

の普及がとどめを刺しました。

 

時代の変化により

「テレビカー」の役目は終わったとして

2009年にテレビの撤去が発表されます。

 

8000系のリニューアル工事により順次

テレビが撤去され、2012年には全ての

編成からテレビが消滅しました。

 

そして最後までテレビが残った編成が

この旧3000系です。

 

 

なぜ旧3000系だけテレビが残ったのか?

 

 

残念なことにテレビが残るということは

更新工事が行われないという事です。

 

 

8000系からテレビが撤去された2012年に

旧3000系の引退が発表されました。

 

この旧3000系の引退と共に

京阪伝統の「テレビカー」も終了します。

 

私が通学で京阪電車を利用した時には

もう「テレビカー」でテレビを見る人は

かなり少なかったです。

 

ですがプロ野球や大きなスポーツ大会が

開催された日には「テレビカー」の車内で

全く知らない人と盛り上がりました。

 

また東日本大震災の時はいつもは少ない

テレビカーの車内に多くの乗客が集まり、

皆が日本の行く末を案じていました。

 

時代の変化により消滅しましたが、

知らない乗客と映像を見て盛り上がり

時には情報を共有できたのもテレビカー

ならではの体験でしたね!

 

 

ありがとう!旧3000系

 

 

ちょうど10年前の2013年3月10日に

営業運転から引退した旧3000系。

 

引退が発表されてからは

引退日までの運用情報が発表されます。

 

また往年の副標が再現され先頭車両も

改修前のデザインに変更しました。

旧3000系の最後の勇姿を見ようと連日の

ようにファンがたくさん集まりました!

 

また旧3000系に関連したグッズ販売や

イベントも開催され京阪電鉄からも愛さ

れた車両でしたね!

 

そして2013年3月10日

淀屋橋発 普通「萱島行」の運用を最後に

営業運転を終了します。

 

その後はダブルデッカー車両を抜いた

往年の「初代3000系」の姿となり

臨時列車として沿線を駆け抜けました。

 

多くのファンと社員に愛された旧3000系

2013年3月31日、最後の特別運行をもって

完全引退します。

 

旧3000系の終了と共に、

「初代3000系の約40年の歴史」

「テレビカーの約60年の歴史」

それぞれの歴史に幕が降りました。

 

 

私は学生時代の通学でしか

旧3000系との接点がありませんでしたが

 

夏の暑い日の冷房は微妙、冬の寒い日の

暖房は乗る時間が長いほど座席が熱くなる

ような車両でした 笑

 

ですが良くも悪くも車内はまじめに適温

非常によく眠れる車両でしたね😊

 

昔ながらの京阪特急の車両に乗ることが

できて良かったと今では思います!

 

あれから10年が経過しましたが

通学ではほんとうにお世話になりました!

 

 

ありがとう!旧3000系!

 

 

今回もありがとうございました!

良ければ読者登録をお願いします!

 

 

 

 

おまけ!

 

 

最後に引退した旧3000系の

ダブルデッカー車両は富山地鉄に譲渡され

 

平成初期に譲渡された3000系車両と共に

「ダブルデッカーエキスプレス」として

活躍していますよ!

 

 

富山地鉄 ダブルデッカーエキスプレス

https://www.chitetsu.co.jp/?page_id=12670