小さな秘境駅のシンデレラストーリー
こんにちは!雨男です☔️
いつもブログを見に来てくださり
ありがとうございます😊
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そしてSNSでのいいね等、いつもブログを
投稿する励みになっています!
そしてブログを楽しみにしてくださる方へ
投稿が遅くなりごめんなさい💦
今回は
私がずっと紹介したかった駅
このブログのホーム画にもなっている
山陰本線「餘部駅」を紹介します!
冬の季節は日中の時間が短く、
寒い時期に山陰地方の駅はオススメできな
いとずっと我慢していました😓
ですが、、、
もうすぐやって来る春!!
ようやく紹介できる時が来ました\(^^)/
日本屈指の絶景が楽しめる空の駅
かつて山陰本線が分断されていた場所に
ある「余部橋梁」と「餘部駅」の歴史
紹介できる写真がかなり少ないですが
良ければ最後まで見てくださいね!
はじめに
山陰本線 「餘部(あまるべ)駅」!!
餘部駅は兵庫県香美町にある
JR山陰本線の無人駅です!
「余部橋梁」の末端部に駅があり
「餘部駅」も地上から約40mほどの
高い場所にあります!
この高台の駅からは山陰地方の風景を象徴
とする「山と海」の綺麗なコントラストを
眺める事ができますよ!
高さ約40mの餘部駅から見る絶景
そんな餘部駅は観光地として
休日には人が絶えないほどの
人気のスポットです!
ですが、、、
撮影地として有名なこの駅も
2010年以前はひっそりとした
秘境駅でした。
そして歴史を遡ると
山陰本線 開業当時はこの場所に
橋も駅もありません。
何もない場所からいったいどのように
人気の観光地となったのか??
そこには鉄道の歴史と
「余部橋梁」の活用法が鍵となります!
山陰の秘境駅から
「人気の観光スポット」へ
町全体が一体となって駅造りを手伝った
小さな餘部駅のシンデレラストーリー!
山陰本線の重要区間
「余部橋梁」の誕生
現在の余部橋梁
「餘部駅」を語る上で欠かせないのが
「余部鉄橋」の存在です!
山陰本線が開業した当時は
深い谷間の高低差を攻略できず
ここで線路が分断されていました!
この谷間を越えるには
国内最長の橋を建設するしかない!
明治時代にこの深い谷間を繋ぐ
長いトレッスル橋の建設が進み
そして1912年(明治45年)
ついに国内屈指の難所として知られていた
場所に余部鉄橋が完成します!
旧 余部鉄橋
写真 引用元 Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%99%E9%83%A8%E6%A9%8B%E6%A2%81
完成した余部鉄橋は
「東洋一のトレッスル橋」として後に
国内から人が集まる観光名所となります。
余部鉄橋の開業により
分断されていた区間が繋がり
「京都から出雲市」までの区間が
1本の線路で結ばれました!!
このような歴史から「余部鉄橋」は
山陰本線にとって重要な場所になります!
地元の悲願
「餘部駅」の誕生!
「余部鉄橋」が完成した当時は
この場所にまだ餘部駅は存在しません。
ここに住む住民が山陰線を利用するには
とんでもない苦労がありました。
地元住民が列車に乗るための行程
STEP1
まず地上から約40mの高い場所にある
「余部橋梁」まで山を登ります。
↓
STEP2
列車の合間を縫って徒歩で余部鉄橋を渡り
トンネルの先にある隣の鎧駅まで行く。
(餘部駅→鎧駅までは約2km)
今では考えられないような道のりを
老若男女関係なく進んだそうですよ😓
この生活が餘部駅が開業する当時まで
続いたと考えると本当にすごいです😱
こんな過酷な生活が続く中で
1950年代に入っていよいよ
地元住民が駅の開業に向けて当時の
国鉄に強く働きかけます!
小学校でも県知事に駅設置を願う手紙を
書くなど様々な活動があったそうです。
そしてこのような活動が実を結び
余部鉄橋が完成してから47年後の
1959年(昭和34年)
地元住民も山を登って建設を手伝った
餘部駅が山陰本線に開業しました!
この歴史は駅から町へと続く散策道の
途中にある案内板にも書かれています!
高台にある餘部駅と
町に架かる長い余部鉄橋は
小さな町の観光名所として
そして山陰地方の風景の1つとして
長年たくさんの人に親しまれました。
そんな余部鉄橋で
鉄道史を揺るがす大事故が発生します。。
1986年12月28日
「余部鉄橋列車転落事故」
強風により余部鉄橋を走行中だった
客車7両の回送列車が転落し橋の下にある
食品工場や民家に直撃します。
原因としては当時の国鉄が余部鉄橋の
風量規定を守らずに列車を走らせたことに
あります。
死者5人、負傷者6人
高さ40メートルの橋梁から列車が
転落するというこの事故は
鉄道史に残る大事故となりました。
この事故をきっかけに
余部鉄橋を防風壁を備えた頑丈で新しい橋
へ架け替える取り組みが始まります。
2007年から
新しい橋の建設工事が始まり
完成が近づくにつれて余部鉄橋の
引退の日が決まります。
そして2010年7月16日
「余部鉄橋」の約100年にも渡る
長い歴史に幕が閉じます。
翌月の8月には現在の余部橋梁が完成し
小さな町の空の風景が変わりました。
新「余部橋梁」が完成した事により
歴史ある旧「余部鉄橋」は完全解体...
という事にはならず
この旧「余部鉄橋」の新たな活用法が
人気の観光地としての起爆剤となります!
歴史ある鉄道橋は新たな観光資源へ!
鉄道分野において
旧「余部鉄橋」の役目は終わりましたが
兵庫県と地元は親しみがあった
この鉄道橋を活用する方法を模索します
約100年間も山陰本線を支えた歴史ある
余部鉄橋の記憶を後世に残す資源として
そして人々が交流できるような
新たな観光地の拠点として
役目を終えた余部鉄橋は撤去されず
新たな観光資源として活用されます!
橋の下から見る 旧「余部鉄橋」
旧「余部鉄橋」が引退し
観光資源として整備された事で
山陰本線の小さな秘境駅は
空の駅へと生まれ変わります。
人気の観光スポット
空の駅「餘部駅」の誕生!
余部鉄橋の運用が終了してから3年後
2013年5月
展望施設「空の駅」はオープンします!
空の駅として生まれ変わり
餘部駅を降りると当時の鉄橋跡を歩く
ことができるようになりました!
旧「余部鉄橋」 展望歩道
鉄橋跡は舗装されていますが
当時のレールが残されています!
また高さ40mもある鉄橋の展望台には
鉄橋下が見える「のぞき窓」や日本海の
パノラマが楽しめるベンチも備わり
ここを歩けばまるで空中散歩をしているような気分を楽しむ事ができますよ!
橋梁から見る下の町並み
鉄板1枚を隔てた40m下の光景は
高所恐怖症の人にとっては少し怖いかも
しれません😱
そして展望施設が開業した4年後の2017年
地上から展望施設まで繋がるエレベーター
として
「余部クリスタルタワー」がオープンし
駅から地上まで大変だった道のりも
エレベーターに乗ってわずか45秒で
地上と展望施設を行き来できるようになり
ました!
また整備されたのは
鉄橋の上だけではありません
鉄橋下には芝生がある自由公園や
橋脚跡を活かした広場が完成します!
広場にある余部鉄橋の「モニュメント」
また広場の近くにはお土産の購入や飲食が
できる「道の駅」もオープンします!
旧「余部鉄橋」を中心とした
観光地としての整備が完成し
餘部駅は小さな秘境駅から
大勢の人が集まる人気の駅になりました!
今では鉄道ファン関係なく
休日にはたくさんの観光客で賑わう
人気の観光地です!
空の駅「餘部駅」に行こう!
かつては橋梁も駅も何もない小さな町が
余部橋梁と共に歩んだ長い歴史と運命
長い歴史の間にいくつもの転機があり
現在は人気の観光地とし存在します!
駅から降りるとそこはもう空の駅
余部鉄橋の展望台から眺める
日本海と小さな町並み
橋の下にはゆったりできる道の駅と
少し歩いた場所には綺麗な日本海
そしてこの場所から眺める
町の上に架かる新しい余部橋梁
この春、みなさんも
余部鉄橋と共存する小さな町の駅
「餘部駅」に行ってみませんか??
空の駅「餘部駅」
とても良い場所ですよ!!
今回もありがとうございました!
ブログでたくさんの方と繋がりたいので
読者登録をしてくだされば嬉しいです!
餘部駅アクセス
大阪方面よりオススメルート
特急「こうのとり3号」
新大阪駅9時04分発 城崎温泉行
↓
大阪駅9時10分発
↓
城崎温泉駅11時52分着
↓
普通「鳥取行」
城崎温泉駅11時56分発
↓
餘部駅12時42分着
「城崎温泉駅ー鳥取」間は
列車の本数がかなり少ないです!!
必ず計画を立てて行きましょう!
おまけ
余部橋梁 オススメスポット!
餘部駅を降りると
歩いて町に降りる散策道があります。
散策道を進むと途中で橋の下を通ります
橋の下を通ると分かれ道があるので
「展望台」と書かれた道を登りましょう!
歩いて数分後
そこには余部橋梁を見渡せる
小さな展望台があります!
ここに行ってこそ
余部橋梁の全てを楽しむ事ができますよ!
餘部駅 観光情報
余部鉄橋「空の駅」展望施設 香美町
https://www.town.mikata-kami.lg.jp/www/contents/1617585228929/index.html
余部鉄橋「空の駅」 兵庫県
https://web.pref.hyogo.lg.jp/ks05/soranoeki.html
海の見える駅 餘部駅
https://seaside-station.com/station/amarube/
道の駅 あまるべ
http://michinoeki-amarube.com/